Docotors' Style開催レポート

Doctors' Style

〜病を抱えた方の話を聞いてみよう〜 2016.5.28@千登世庵

「耳が聞こえないことが宝物だ」
そうおっしゃるYumie Horiさん。
彼女はプロボディボーダーであり、そば屋(千登世庵)を営む女性。

幼い頃に聴覚を失い、音の聞こえない世界で生活をしてきました。
彼女はそんな世界でぶつかる困難にも屈せず、負けるものかと強い思いを持ち、挑戦を繰り返しました。
相手の言葉がわからないのであれば、ちゃんとコミュニケーションできるように読唇術や手話を学び、耳が聞こえないなんて誰にも思わせないほどにまでなりました。

YUMIEさんにとっての海は、耳が聞こえないことなんて無関係な場所。
誰にとっても平等な場所だと語ります。
耳が聞こえない私にも大きな波はぶつかってくるし、体を揺らされる。
圧倒的な大きさで自分に立ちむかってくれる。
自分が自分らしくなれる。
彼女の焦げた小麦色の肌は海へよく出かけていることを伝えていますね 。
いまもなお挑戦し続けています。

ある日突然、怪我や事故で体が不自由になったら幸せでなくなるのか。
そんな質問にYUMIEさんは笑顔でこう答えました。
「例えば耳が突然聞こえなくなったら、それはラッキーじゃないか。だって聞こえる人の気持ちも聞こえない人の気持ちも分かるんだから」と。

YUMIEさん。
今では私の中で尊敬する方の1人です。
聴覚の有無をものともせずに、何事にも積極的に挑戦し続ける姿。
現在、英語を話すことやカラオケで歌うことにも挑戦してます。
ヨガ教室も開いてます。
まだまだ向上心を持ち続ける姿は格好良いです。

Doctors' styleは耳鼻科医 正木 稔子を主体として、医学生向けの現代版松下村塾のような環境を作っています。
そこで、私はその補佐とカメラマンをさせていただいてます。
医学生がそれぞれの自分がなりたい医師像や価値観を見つけるために様々な診療科の先生や研修医、病院経営者などと気軽に交流できる場所を作っています。
特に女子医学生のキャリアプランは難しく、結婚や出産、業界での立場など考えさせられることが多い。
女医である正木 稔子は将来に悩みをもつ学生に向けて、素敵な女医さんたちのスタイルを紹介してくれます。
学生時代は、医者である前に人間として様々な環境に飛び込んで、多くの価値観を知るのが大事だと私は思っています。
医者になるまえに出会うべきものはまだまだたくさんあるはずです。

repoted by 代表補佐 岡本賢

Doctors' Style

レディコン 2014.5.30&12.20
Doctors' Style in 福岡 2015.9.26
Doctros' Style mini 2016.4.16
Doctors' Style in 大阪 2016.6.25

福岡だけでなく東京、大阪のDoctors's styleに参加できたことを本当に嬉しく思います。

正直、Doctors' Styleに参加するまでは自分の医学部に対するモチベーションが下がっており、将来像が全く見えず、このまま医者になるのは嫌だ、なんでこんなことやっているんだろう、と医学部を辞めたいとすら思っていました。
今年休学することを決めて、休んでいる間にいろんなことに挑戦しよう、県外に出ていろんな人と話そう❗️、そう思いました。

Doctors' Styleは元々はレディコンという名称で、女の子の医学生だけを対象に女医さんからお話を聞く、というものでした。
それだけでも素晴らしい企画でしたが、男子にも聞いてほしい❗️ということで名称をDoctor's styleに変更し、男性のお医者さんにもお話を聞くことができるようになりました。
研修医の先生にもお話を聞くことができたり、自分の大学以外の学生さんともお話ができ、今まで見失いかけていた「医師になる」という気持ちが再燃するのがわかりました❗️
参加していくにつれて新しい人たちとの出会いが増え、様々な刺激を受けることで自分の将来像も見つけることができました❗️

今はオーストラリアに留学にきています(*^◯^*)
Doctors' Styleに来た方々に背中を押してもらい、医学部を一年お休みすることを後ろめたく思っていたのが、むしろ留学をすることで将来絶対に役立つ❗️とプラスに考えることができました❗️

参加するごとに医学部に対するモチベーションも上がり、さらに新しい発見も多いです。
大学の先生や同じ大学の学生だけでなく、いろいろなDoctorと話をすること、他大学の学生さんとお話をすることはぜーーーーーったい自分に良い影響を与えます❗️

reported by 上田雅子

Doctors' style mini

〜途上国医療支援団体 JAPN HEART の石田志織先生が語る現場の医療〜 2016.4.16@順天堂大学

「貯金が尽きるまでカンボジアで医師として働き続ける」
未だに医療施設が十分に整わないカンボジア。
そこで働くのは女医である石田志織さん。
夫婦で日本から飛び立ち、発展途上国の医療を支えています。

そんな彼女も、初めてミャンマーに行った時は虫がいて、汚くて、プライバシーのない場所だから働くのは…と思っていたそうです。
が、日本へ帰国する飛行機の中で聴いた曲で考えが変わりました。
その曲はミスターチルドレンのGIFT。
「これからどういう医師でありたいのか」そう自分と対話して、発展途上国で医師をしていく覚悟を決めた瞬間だったと語っていました。
そしてジャパンハートで出会った旦那さんとともに、発展途上国での医療活動を始めたのです。

日本の医療は世界でも質が高く、国民の誰もが医療を享受できる福祉制度が整っています。
医療費が安く、いつでも具合が悪くなれば診察してくれる医師がいて、症状を治す薬をくれる。
身体に異常が出ても全く心配が無い、そういう信頼と安心があるのが日本です。
現に私も日常生活では命の危機を感じることは少なく、生きて当たり前だと思っていました。

一方で怪我をしたらそのまま、大病に罹ったら死を覚悟する。
そんな緊張感が広がるのはカンボジアという国です。
現地に病院も医師も少なく、毎日生きるのに必死です。
生きために祈るばかりです。

ジャパンハートは、医療が届かない場所で失われてゆく「いのち」を一つでも多くつなぎとめるため、医療活動を行っています。
この活動は、貧しさから医療を受けられない人々や、奇形を持ち、苦しみの中で生き続けなければならない人々を、悲しみの淵から救い出していく作業だと考えています。

そのジャパンハートの一員として、石田志織さんは、医師であるご主人と共に、持続可能な医療をカンボジアに作ること、そして自国で循環させるシステムを築くことを目標にされています。
病院の設立だけでなく、医療人材の育成、医学教育などを改善することに尽力しています。
そこにあるのは人並みでない熱意の量です。
日本にいるときにお金を貯金して、カンボジアではほぼ無償で医療活動をなさっています。
カンボジアでは本当に多くの人に感謝され、大きな存在意義を自分に感じているそうです。

私にとって今回は理想の医師像を見つけられたと思っています。
第一線で活躍されている女医さんの勇姿に学ぶことは沢山あります。
いま目の前の困っている人の命を救うこと。
それが医師の本質だと思います。
医療環境が十分に整っている日本では医学生が、その本質を忘れて、自分の身を守る選択肢ばかりを考えてしまうのではないかと学生の立場から心配してしまいます。
この学生時代にこそ専門的な学問に励むだけでなく、様々な価値観に触れていくのが大切ではないかと思います。

Doctors' styleは耳鼻科医 正木稔子を主体として、医学生向けの現代版松下村塾のような環境を作っています。
医学生がそれぞれの自分がなりたい医師像や価値観を見つけるために様々な診療科の先生や研修医、病院経営者などと気軽に交流できる場所を作っています。
特に女子医学生のキャリアプランは難しく、結婚や出産、業界での立場など考えさせられることが多い。
女医である正木稔子は将来に悩みをもつ学生に向けて、素敵な女医さんたちのスタイルを紹介してくれます。

私たちDoctors’ styleでは、プロではない学生のうちに医療の本質やあるべき姿を伝えたいと考え活動しています。
その中で自分に似合ったスタイルを見つけて、医師になった後でも学生時代に見つけた理想の医師像に向かって励んでほしいと願っています。
医者ではない学生だからこそ、自由に使える時間を、様々な環境に触れたり、人として学ぶべき多くの価値観を知ったりするために使ってみる。
大学で重たい教科書を読むこと以上に、そこでは学べない大切なことはたくさんあるのではないかと感じています。

reported by 代表補佐 岡本賢

Doctors' Style

Doctors' Style in 東京 2016.2.6
Doctors' Style ~病を抱えた方の話を聞いてみよう~クローン病を抱えた27才のドクター 2016.8.20

僕は、幼い頃から医師になりたいと考えていました。そして医師として、どんなことがあっても守っていきたいと思う目標が二つありました。
一つ目は、「あの先生に診てもらえれば大丈夫」と思われるような医師になることです。これは医師を志す人ならば、誰もが目指す医師の形だと思います。
二つ目、これは僕の育った環境が大きく関与しているのですが、家庭を大切にすることです。

一つ目の目標は中学生のころから考え、二つ目は小学校低学年の頃から心に決めていました。そして高校生になってからは、とにかく医学部に合格することを第一に考えていました。医学部に入れば漠然としてでも何か答えが見つかると思っていたからです。しかし、実際に入学してみると勉強だけで手一杯であり、将来のことを考える時間などは作れずに不安を抱えていました。そんな時にDoctors’ Style で出会ったのが、現在の僕の理想像である関川浩司先生です。

関川先生は神奈川県にある第二川崎幸クリニックの院長を務められており、福島県立医科大学の臨床教授(外科学)も務めていらっしゃいます。僕はこれらの実績だけで関川先生を理想の医師像としているのではありません。直接先生の講演を耳にして、先生の医師としての心構えに深く感銘を受けたからです。「家庭を守れないものは医師ではない。患者にとって医師はたくさんいるけれど、家族にとって父・夫は一人だけである。子供が小さいうちは、できるだけ一緒にいるようにした」これらのことを医師の方からきいたのは初めてであり、関川先生が一番僕の理想に近い医師だと感じました。
少し話が逸れますが、男性医師の生涯未婚率は約2,8%と非常に低いデータがあります。しかしその離婚率は30%弱、さらに医師同士の離婚率は50%にも達するというものまで存在します。

確かに医師という職業は、人の命を相手にするものです。誤った薬を処方する、手術中にミスを犯す。そのことで、その患者さんが死んでしまうかもしれない。そんな途方もないプレッシャーを日々感じているのですから、当然ストレスや疲労も大変なものだと思います。しかし、それでも病院を出て帰宅した際には、もう医師ではなく、一人の夫であり父である、と関川先生が教えてくださいました。

繰り返しますが、医師という職業は本当に大変なものだと思います。医師になってからも、死ぬまで勉強を続けて知識を増やしていかなければなりません。医師は人に薬を与えたり、人の体にメスを入れることを国から許されて、国民を守る使命があります。そのうえで更に家庭を持ち、大切にしていくことは並大抵のことでは無いと想像します。しかし、Doctors‘ Style で関川先生とお会いして、簡単なことでは無いけれど僕にもできるのかな、と希望を持つことができました。仕事とプライベートの両立をしている方を、目の前で見て、理想像を見つけたからです。

reported by 谷 康正

Doctors’Style in 名古屋

2018.02.10

「名古屋でDoctors’Styleを開催したいです!」
そんな強い思いを持って声をかけてくれたのが、前回の東京開催で参加してくれた女子医学生さんだった。

私がこの団体に精力的に関わり始めて2年が経つち、東京だけではなく全国各地で開催することができてきた。それは第一に、医学生たちの強い思いがあるからである。そして、セミナーのような堅い感じではなく、学生が先生と気軽に話しあえる雰囲気を作ることで将来の自分たちの医師像を描く場を目指してきた。そもそも医師になることを心の底から願っていたわけではなく成り行きで医学部に来てしまった子や、医学部に入ってみたけれどそのキャリアの忙しさにプライベートでの幸せを犠牲にしなきゃいけないんじゃないかと不安になってきた子もいる。

大学ではなかなか相談する先生も先輩もいないし、そんな真剣な話をする空気でもないので、もやもやしながら過ごしてることが多いのである。確かに正しい知識と技術を身につける訓練所として大学は必要であるけれど、人間性を育て本当に温かい手を差し伸べられるような医師になるためにはそこでは足りない。実際に現場で働いている医師たちに、それも研修医から経験をかなり詰んできた専門医まで、直接会って話せることが大事なんだと感じている。自分はこの先生のようになりたいなという医師像を少しずつ描いていくことで自分のキャンバスが具体的に彩られていくのだと思う。

実際に今回、名古屋で幹事をしてくれた医学生さんも、もともと自分自身が女医として生きていくことに不安を抱えていた。東京で出会った医師たちに心を救われ、医師としての未来が楽しみになったという。同じような悩みを持つ仲間たちにもそうなっていってほしい、そういう強い思いが次へと繋がったのだ。

実際に明日から実践できる実学を学ぶような場ではないけれど、医師として一生大切にしたい考えや思いを得られる場であると思っている。実際に、私も名古屋で初めて出会った救命救急の医師から忘れられないメッセージを受けとった。それは、このような医師と患者のエピソードからであった。

子供の診察に来ていた親子がいて、親が子供を愛することができず育児放棄の状態であった。その母親は育児への逃避からリストカットをしていて、救命救急医の先生は刃物で切られた傷を見つけた。傷は浅く、縫うまでの処置をする必要はなかったが、あえて傷跡が残らないように綺麗に処置をしたという。そして、母親に向かって「縫う必要のない傷だったけどあえて綺麗に処置しました。子供が将来その傷を見て悩んだり苦しまないようにするためです。ちゃんと自分の子供を愛して育てなさい。もし嫌であれば、私に子供を預けなさい」、と強く叱った。しばらく沈黙が続き、母親はその場を後にした。しかし、次の診察であった時に母親は泣きながら「この子を大切に育てます」と先生に誓いを立てるように言ったのだ。家で子供のこと、親としての自分のことを、先生に怒られて初めてじっくり考えて母親としての思いが固まったのだそうだ。先生はその一回の診察で母親の人生を大きく変えた。

医師として、出会う患者にどこまでするのかはその医師に委ねられている。今回のケースであれば、子育てで悩む患者は多いから処置だけしっかりして家に帰してしまう事もあるだろう。それも悪いことではない。医師としての最低限の仕事はしている。だけど、今回の救命救急医の先生は違った。目の前にいる患者の人生を考えて、絶対にこうすべきだと信念があったから母親を怒ったのである。

私なんかは人に怒ることはないし、ましてや患者さんにそんなことはできないだろうと今まで思っていた。本当に患者のためにすべきことは、病気に対して正しい治療をするだけではないのだと思った。患者に手を伸ばしてしっかり握りしめることであったり、時間をかけて話に耳を傾けることであったり、あなたの考えは間違っていると強く説教することも医師の役割なのだと学んだ。本当に相手のことを考えてすべきこと、その一つを名古屋で出会った先生から教えてもらった。

Doctors’Styleで描く医師の理想像は、これまで出会った医師一人だけで描かれているものではない。出会った数だけ少しずつ、こうありたいと積み重ねられてできている。まだまだ絵は完成しない。これからもたくさんの医師と学生に出会って作り上げていきたいと思う。

reported by 岡本賢

学会発表レポート

第9回 日本プライマリ・ケア 連合学会学術大会

順天堂大学医学部医学科4年 岡本 賢

2018年6月16日(土)~17日(日)、三重県で開催された第9回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会に参加してきました。今回学生セッションでポスター発表する機会をいただいて、私たちDoctors’ Style の活動報告をしてきました。その結果、大きく3つのことを学ばせていただきました。

①Doctors’ Style の存在意義
 私たちDoctors’ Styleは医師として働く目的や悩みを相談する仲間や場の必要性を感じたところから始まり、いかに医師自身の充足に繋がるかを考え活動してきました。結果として、これまで全国各地で多くの医学生と医師を集める場を作ることができました。具体的には過去の参加者数は学生440人、医師は129人に及び、計23回開催(東京・福岡・熊本・金沢・大阪・名古屋)してきました。(2018年6月現在)

 加えて、病を抱えた方の話を聞く会、サロンと、形式を変えながら継続的かつ包括的にアプローチすることで様々な入り口を作ってきました。そうすることで、一度の交流に終わらせることなく継続的に関わりを持つことに繋がります。

 私自身は1年生から4年生の現在まで、多様な生き方をする医師たちと対話を重ねることで自分がなりたい医師像を少しずつ描けるようになりました。将来像が描けるようになると今何をすべきかが見つかってきます。

②Doctors’ Style の責任
 医師としてどう生きるか、医学生になった段階から医師として生涯働くことがほぼ決まっています。学生時代から、医師になった後の人生
を計画していきますが、人生という意味には医師としてのキャリアだけではなく家庭を持つことなども含まれています。大学では知識や技術を学ぶことができますが、医師として生きることを学べないのだと気付きました。だから「医師の人生」について学んだり、相談することができる場所があることも非常に大事だと感じます。
特に女子医学生が抱える悩みの共通点。一人の女性として結婚し家庭を持ち子どもを育てる生活を犠牲にし、人生の全てを医師として生きることに捧げなければならないのか?という不安を抱えています。女子医学生たちがDoctors’ Styleで、結婚をして現在進行形で子育てをしている医師、また離婚から学んだ女性医師から話を聞くことで、想像でしかなかった医師像が具体化し、女性医師として生きていくことが楽しみになったと言う学生の姿を多く見てきました。

 将来的に私は男性医師として働くことになりますが、女性医師が病院外でも人生を充実させられるようにしてあげたいと考え続けています。お互いにとっての幸福が、最終的には医療全体をより良くしていくことにつながると信じているからです。

③医学生としての私
 4年生になるまで、どういう医師になりたいかを自分に問い続けてきました。臨床に立って目の前の患者さんを救うことや医療全体を見て政策を考えたり病院経営することなど、医師としての可能性と選択肢は非常に広がりました。ただ、医師としてどうあるべきか、そこに正解はなく最後は自分で信じて進んで行くしかないと思っています。そして、医療が社会にとってなくてはならないものと自覚したうえで今やるべきことを全うしていかなければならないと思っています。

 最後に、医学と医療が全く別のもので医療は目の前の人を相手にして行うものです。知識や技術が優れているだけで、相手の痛みや苦しみに寄り添うことができるだろうかと常に考えさせられています。私にとっては医療を学ぶ場所としてDoctors’ Styleは無くてはならない場所です。医師になったあともずっとここで学び続けて行きたいと思っています。そして、まだ来たことない医学生には是非一度、ここに来て欲しいです。

共同演者 正木 稔子

研修医の自殺がニュースに取り上げられ問題になっています。これ、今に始まった問題ではありません。
日本は自殺率が高く世界で6位となっています。その中でも医療者の自殺率は高いとされています。そんな現状を鑑みどうにかしなければと思うようになった、それが私の思いの発端でした。頭で考えるばかりでなかなか良い方法が思い浮かばないまま9年が経過したころ、Doctors’ Styleが始動しました。
今回、学会発表を示唆して下さったのは三重大学総合診療科の北村大先生です。
このような機会を頂戴しまとめることができ、改めてこのDoctors’ Styleの必要性を痛感しました。こんなにも多くの医学生の皆さんが、全国各地から集まって来てドクターたちの話を聞きたがっている。そして、その後個人的にご相談もたくさん受けています。皆さんの助けに、少しでもなれたら幸いです。
一方、Doctors’ Styleはまだ何も成し遂げていません。医師人生の中で最も大変なのは研修医の時期です。彼らが集まれる場所になっていないのです。どのようにしたらいいのか、まだわからずにいます。

第50回 日本医学教育学会

(仮報告)